Van Halen / ヴァン・ヘイレンのバイオグラフィー
1980 | 4月、ヴァン・ヘイレン、第3弾アルバム『暗黒の掟』(全米6位)をリリース。プラチナ・ディスク獲得。日本発売は同年4月10日。以後、同年11月16日まで全米ツアー。 |
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4月、デイヴ、シンシナテイ・リヴァーフロント・コロシアムにて観客に火をつけろと煽動したとして、オハイオ州より告訴されるも、結果的に証拠不十分につき不起訴。 | |
4月、サミー、通算2度目の全英ツアーを開催。 | |
5月、ヴァン・ヘイレン、第7弾シングル「ロックン・ロール・ペイピー」(全米55位)b/W「エヴリバデイ」をリリース。 | |
5月、サミー、第6弾ソロ・アルバム『DANGER ZONE』をリリース。 | |
6月10日、ヴァン・ヘイレン、シングル「ロックン・ロール・ペイビー」b/W「戦慄の悪夢」、日本でのみリリース。 | |
デイヴ、イタリアのTVショウ収録中、大きくジャンプした瞬間に、勢いあまって天井から吊してあった直径lメートルの円形照明に頭から突っ込み、鼻を2ケ所骨折。 | |
12月31日、エディ、TVドラマ"ワン・デイ・アット・ア・タイム"の人気主演女優、ヴァレリー・パーティネリに、8000ドルのエンゲージ・リングを携え突然のプロポーズ。 | |
1981 | 4月11日、エディとヴァレリー、ロサンゼルスにて挙式。 |
5月、ヴァン・ヘイレン、第4弾アルバム『戒厳令』(全米5位)をリリース。プラチナ・ディスク獲得。日本発売は同年5月17日。以後同年10月25日まで全米ツアー。この間、初めて解散の噂がまことしやかに囁かれる。 | |
7月、ヴァン・ヘイレン、第8弾シングル「これが愛だって」(全米110位)b/W「ヒア・アパウト・イット・レイター」をりり一ス。日本未発売。 | |
7月、サミーのタイトル・チューンを収めたアニメーション映画"ヘヴィ・メタル"のサントラ盤リリース。 | |
8月、ヴァン・ヘイレン、シングル「アンチェインド」b/W「これが愛だって」、日本でのみリリース。 | |
12月、サミー、ゲフィン移籍第1弾、通算7作目のソロ・アルバム『STANDING HAMPTON』(全米30位)をリリース。「I'll Fall Love Again」(全米43位)と「Piece Of My Heart」(全米73位)がスマッシュ・ヒット。 | |
1982 | 1月、ヴァン・ヘイレン、第9弾シングル「オー・ブリティ・ウ一マン」(全米12位)b/W「ハッピー・トレイルズ」をりり一ス。日本発売は同年3月6日。 |
1月、ヴァン・ヘイレン、サンレモ音楽祭にゲスト出演。「オー・ブリティ・ウーマン」の演奏シーンをプロモーション・ビデオ用に収録する。 | |
4月、ヴァン・ヘイレン、第5弾アルバム『タイヴァー・ダウン』(全米3位)をリリース。プラチナ・ディスク獲得。日本発売は同年5月1日。以後、オートグラフらをオープニング・アクトに起用しながら、同年12月まで全米ツアー。 | |
5月、ヴァン・ヘイレン、第10弾シングル「ダンシング・イン・ザ・ストリート」(全米38位)b/W「ザ・フル・バグ」をリリース。日本発売は同年6月26日。 | |
8月、サミーのタイトル・チューンを収めた、映画"初体験リッジモント・ハイ"のサントラ盤リリース。 | |
8月、ヴァン・ヘイレン、第11弾シングル「ビッグ・バンド・ビル」b/W「シークレット」をリリース。日本未発売。 | |
10月22日、ヴァン・ヘイレン、コンサート実現に向けて集められた2万5千人もの署名に動かされ、マサチューセッツ州ウォーセスターにてスペシャル・ギグを開催。同市の市長サラ・ロバートソンは、この日をヴァン・ヘイレン・デイと定める。 | |
12月1日、エディがレコーディング・セッションに参加した、マイケル・ジャクソン空前のモンスター・アルバム『スリラー』(全米1位)リリース。 | |
12月、サミー、第8弾ソロ・アルバム『THREE LOCK BOX』(全米17位)をリリース。「Your Love is Driving Me Crazy」(全米13位)が初のビッグ・ヒットを記録。 | |
1983 | 1月、ヴァン・ヘイレン、一刻も早いニュー・アルバムの完成を願うワーナー・プラザース側の圧力により、予定されていた南アメリカ~ヨーロッパ公演を途中でキャンセル。この処置に腹を立てたメンバー達は、年末ぎりぎりまで故意にニュー・アルバムの制作に着手せず。 |
2月、エディの灼熱のギター・ソロをフィーチャーした、先のマイケル・ジャクソンの『スリラー』からの第3弾シングル、「今夜はビ一卜・イット」(全米1位)リリース。後にノーギャラでの友情参加という事実が発覚。 | |
5月29日、ヴァン・ヘイレン、L.A.郊外にて開催されたUSフェスティバルに出演。クワイ工ツト・ライオット、ジュータス・ブリースト、モトリー・クルー、スコーピオンズ、オジー・オズボーンら、そうそうたる顔ぶれを従え、25万人もの大観衆を前に、ヘヴィ、メタル・デイのヘッド・ライナーを務め、たちまちギネス・ブックを塗り替えるワン・ステージ150万ドルという破格のギャラをはじき出す。 | |
サミー、キャピトル時代のステージを収めたライヴ・アルバム『LlVE 1980』をリリース。 | |
エディ、ウァレリー主演のTVドラマ"ザ・セタクション・オブ・ジーナ"の音楽を担当。 | |
11月、エディ、ブライアン・メイ&フレンズなるセッション・プロジェクトに参加してのミニ・アルバム『無敵艦隊スター・フリート』をリリース。ラインナップは、ブライアン・メイ(vo,g)、フィル・チェン(b)、アラン・グラッツァー(ds)、フレッド、マンデル(key)、そしてエデイ(g)。 | |
11月、サミー(vo)、ニール・ショーン(g)、ケニー・アーロンソン(b)、マイケル・シェリーヴ(dr)から成るセッション・プロジ工クト、HSAS、初のレコーディングに着手。 | |
12月、エディ、アームズ・コンサート出演のためアメリカを訪れた永遠のアイドル、エリック・クラブトンと緊張の初対面。 | |
1984 | 1月9日、ヴァン・ヘイレン、第6弾アルバム『1984』(全米2位)をりり一ス。わずか3ケ月後にトリプル・プラチナ・ディスク獲得。日本発売は同年1月25日。 |
1月9日、ヴァン・ヘイレン、第12弾シングル「ジャンプ」(全米1位)b/W「ハウス・オヴ・ペイン」をリリース。日本発売は同年1月25日。初のNo.1にして、5週連続。 | |
1月18日~8月18日、、ヴァン・ヘイレン、76ケ所を巡る大がかりな全米ツアー開催、のベ300万人あまりの大観衆を動員。 | |
3月、ヴァン・ヘイレン、第13弾シングル「ウェイト」(全米13位)b/W「ガール・ゴーン・パッド」をリリース。日本発売は同年5月10日。 | |
4月、HSAS、初のアルバム『炎の饗宴』(全米42位)をリリース。「青い影」(全米95位)がスモール・ヒット。 | |
春頃、デイヴとエディ、フランク・シナトラ「LAイズ・マイ・レデイ」のビデオ・クリップに特別参加。 | |
6月、ヴァン・ヘイレン、第14弾シングル「パナマ」(全米13位)b/W「ドロップ・デッド・レッグス」をリリース。日本発売は同年8月10日 | |
8月18日、ヴァン・ヘイレン、キャッスル・ドニントンにて催され、12万人の観衆を集めたモンスターズ・オプ・ロック・フェスティバルに出演。共演はアイアン・メイデンやAC/DC、ディオやキッスなどなど。 | |
8月、サミー、第10弾ソロ・アルバム『VOA』(全米43位)をリリース。「Two Sides Of Love」(全米38位)と「l Can't Drive 55」(全米26位)がスマッシュ・ヒット。 | |
9月14日、ヴァン・ヘイレン、ニューヨークのラジオ・シティ・ミュージック・ホールにて発表された、MTV主催による第1回ビデオ・ミュージック・アウォーズにおいて、「ジャンプ」により、最価秀パフォーマンス・ビデオ賞を受賞。 | |
10月、ヴァン・ヘイレン、第15弾シングル「ホット・フォー・ティーチャー」(全米56位)b/W「リトル・ドリーマー」をリリース。日本発売は12月10日。 | |
10月、エディ、初のソロ名義によるインストゥルメンタル・ナンバー、「ドーナッツ・シティ」を収めた、映画"ワイルド・ライフル"のサントラ盤登場。 | |
秋頃、エディ、スキャンダルやジョン・ウェイトらとの気ままなセッションを楽しむ他は、ひたすら自宅の裏庭に設置された個人スタジオ、"5150"へとひきこもる。 | |
12月、デイヴ、ニューギニア探検旅行を終え、クリストファー・クロス(vo)やエドガー・ウィンター(key,Sax)らと共に、初のソロ・プロジェクトに取りかかる。 | |
1985 | 1月、デイヴ、ソロ・デビュー・シングル「カリフォルニア・ガール」(全米3位)b/W「カリフォルニア・ガール(リミックス・ヴァージョン)」をリリース。日本発売は2月10日。 |
2月、デイヴ、ソロ・デビュー・ミニ・アルバム『クレイジー・フロム・ザ・ヒート』(全米15位)をリリース。日本発売は2月10日。 | |
3月、デイヴ、第2弾ソロ・シングル「ジャスト・ア・ジゴロ~ノーバディ」(全米12位)b/W「ジャスト・ア・ジゴロ~ノーバディ(リミックス・バージョン)」をリリース。日本発売は5月25日。 | |
春頃、デイヴ脱退の報が漠然と伝えられる。 | |
7月20日、英サウンズ紙、オリジナル・ヴァン・ヘイレンの分裂を初めて断定的な活字へと刻み込む。 | |
9月28日、エディ、それを裏づけるかのように、フィラデルフィアで催された“ファーム・エイド”において、突如、サミーのステージヘと飛び入り参加。レッド・ツェッぺリンの「ロックンロール」をスリリングにプレイ。 | |
秋頃、以下のような両者の言い分が、様々な音楽雑誌の誌面をにぎわす。 「俺は時間を無駄にしたくない。本格的なレコーディングやステージ活動に飢えちまってるのさ。今やってることにキッパリとかたをつけたいんだ。」(デイヴ) 「僕は僕で、デイヴが動き出すのを待っていた。それがニュー・アルバムのレコーディングが延び延びになったのを俺のせいにするなんて……。おまけに、彼の主演映画の音楽を僕に依頼してくる厚かましきだ。我慢にも程があるよ。」(エディ) | |
正式にサミーを迎えた新生ヴァン・ヘイレン、新たにフォリナーのミック・ジョーンズらプロデュースを委ね、アルバムの制作に着手。 | |
1986 | 2月26日、ヴァン・ヘイレン、サミー・ヘイガーをヴォーカルに迎え第16弾シングル「ホワイ・キャント・ディス・ピー・ラヴ」b/W「ゲット・アップ」をリリ一ス。日本発売は4月25日。 |
3月24日、ヴァン・ヘイレン、第7弾アルバム『5150』をリリース。これがヴァン・ヘイレン初の全米NO.1に輝き、現在までにアメリカだけで400万枚以上の売上げを記録。日本発売は4月25日。 | |
3月27日、ヴァン・ヘイレン、『5150』ツアーをスタート。 | |
7月、デイヴィッド・リー・ロス、ソロでの再出発作にあたる初のフル・アルバム「イートエム・アンド・スマイル」(全米4位)をリリース。日本発売は8月25日。 | |
8月、デイヴィッド・リー・ロスがソロとして独立後初の全米ツアーをパージニア州ハンプトン公演からスター卜。翌年まで続いたこのツアーは、全米50都市を回り、合計60公演分のチケットがすべて完売になる大成功に終わる。 | |
9月、テイヴィッド・リー・ロスのファーストソロ作「イートエム・アンド・スマイル」のスペイン語ヴァージョンのアルバム「ソンリサ・サルバヘ~"イートエム・アンド・スマイル"スパニッシュ・アルバム」が日本でもリリースされる。 | |
この年のコネチカット州ニューヘヴン・コロシアム公演の模様を収録した、ヴァン・ヘイレン初のライヴ・ビデオ「LlVE WITHOUT A NET」をりり一ス。 | |
1987 | 2月、映画「オーバー・ザ・トップ」のサントラ磐に吹き込んだ、サミー・ヘイガーwithエドワード・ヴァン・ヘイレンによる「オーバー・ザ・トップ」が全米でシングル・カット。全米チャートの54位まで上昇するスマッシュ・ヒットを記録。 |
6月、ゲフィンとのソロ契約上の問題もあって、サミー・ヘイガーがエドワード・ヴァン・ヘイレンを共同プロデューサーに迎えて作ったソロ作「ヘイガー・USA」(全米14位)リリース。日本発売は7月25日。また、このアルバムの発売に合わせて、サミーが初のプロモーション来日。 | |
1988 | 2月、デイヴィッド・リ一・ロス、第2弾アルバム「スカイスクレイバー」(全米6位)をリリース。日本発売は2月25日。 |
3月、デイヴィッド・リ一・ロス、"スカイスクレイバー・ツアー"を開始。 | |
5月、ヴァンヘイレン、第8弾アルバム「OU812」をリリース。前作「5150」に続いて、再び全米NO.1を記録。現在までに全米だけで300万枚以上の売上げも記録している。日本発売は6月25日。また、アルバムの発売に合わせて、27日からスコーピオンス、メタリカ、ドッケン、キングダム・カムを引き連れた"ヴァン・ヘイレンズ・モンスターズ・オブ・ロック"ツアーが全米でスター卜。 | |
9月、ヴァン・ヘイレン、"モンスターズ・オブ・ロック"ツアーに引き続き、今度は単独で全米約45ケ所を回るツアー開始。また、"スカイスクレイバー・ツアー"の一環として、デイヴィッド・リ一・ロスのソロ初来日公演が実現。札幌、仙台、横浜、名古屋、大阪、東京で合計11公演を行う。 | |
1989 | 1月、ヴァン・ヘイレンとしては10年ぷリ3度目、サミー・ヘイガー加入後初の来日公演開催。京都、大阪、広島、名古屋、東京で合計6公演を行う。東京は、東京ドーム2公演が実現。 |